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丁寧に、大切につくられたものは、
ずっと使い続けたい。

1974年創業の当店は、国家検定一級技能士が2名おり、素早い対応、丁寧な仕上げ、キメ細やかなアフターフォローを心がけております。また、近年では機械で畳を作る時代とはなりましたが、当店は必要な部分はすべて手作業にて行っており、小さなお店だからこそできる真のオーダーメイドをご案内しています。
敢えて非効率的なもの作りこそが、お客様の期待にお応えすると同時に、関わる全ての働き手のやりがいにもつながると考え、さまざまな取り組みを行っています。
ホームページでは、当店の取り組みや新しい商品、畳のお手入れ方法など、さまざまな情報を発信していきます。また、当店のTATAMI GALLERYにおいて、紹介する商品などを実際に手に触れて知って楽しんでいただけますので、近くにお越しの際は、ぜひお立ち寄りください。

Purpose
目指すこと

効率化から、優しい非効率化へ

目指すことのイメージ1今から約50~60年前の時代は、すべて同じ大きさの畳を一枚単位で家の広さの分だけ買ってきて自分で敷くものだったため、家はタタミの面積よりも大きく作られ、スキマ風は当然のものでした。そして使用して数年たった畳の張替えを各家の庭先まで出張し、手作業で行うのが「畳職人の仕事」でした。

昔も今も、すべてのお家の大きさや形は必ず違います。それなのに、畳の大量生産の時代の名残のまま、価格に合わせた長持ちしない素材と短時間で完成させる工法が多くの地域で受け継がれてきました。
残念ながらその安価な素材を使った畳の耐久性は低く、和室といえばスキマや段差が当たり前の古臭いイメージが定着し、畳本来の良さもすたれてきました。
「同じタタミなら価格を調べて安く買う」これが当時の畳の賢い買い方でした。効率的な生産が可能な工場が生き残り、日本中から地域の畳店が徐々になくなり、材料を作るいぐさ農家も急激に減少していく、他業種にも見る「負のサイクル」へと陥ります。

目指すことのイメージ2当店ではその「負のサイクル」を脱しつつ、よりお客様に畳の良さを知っていただけるように、畳屋の再定義に向けた取り組みを始めました。
これを『優しい非効率化』と名付けます。
ご相談やお見積りの際にはまずお客様の現状のお部屋の問題点や気になることを拝聴することから始め、それから豊富な素材と施工例を見て触れていただきながら、お客様のお好みのお部屋の在り方を、ご質問にお答えさせていただきながら、ご納得いただける畳替えプランを考えます。

畳の張り替えの場合にも施工当日にお部屋を再計測します。畳の厚みを敷居に合わせたり、経年変化で縮みが生じたスキマを手作業で修復するために、従来よりも多少時間がかかります。だからと言って、「畳工事の日はお客様が使えるお部屋がなくなってしまう」なんてことがないように、機械づくりと手作りのコンビネーションから、効率的な少量生産で、お客様の暮らしに無理のないように、お客様が帰宅されるタイミングに合わせて張替え作業を行います。ヒアリングから施工、そしてその後のご相談まで、畳工事の完了までお客様の時間を少しだけ多く頂きます。このような、敢えて非効率的なもの作りこそが、お客様の期待にお応えすると同時に、働き手のやりがいにもつながると考えます。

語れるもので日々を豊かに

生産者の顔の見える素材お客様のご自宅用の畳に特におすすめする素材は、熊本県で生産される、耐久性があり、日焼けをしても美しい、生産者の顔の見える素材、その良さが語れる素材です。

当店では2013年より定期的に熊本を訪れて畳表生産者と語り、素材を生かす畳づくりをしながら、上質な国産畳の足元を支える取り組みを始めました。そこから分かって来たのは、畳の強さや美しさは、その素材であるいぐさの生産者によって、あるいは生産地や環境によって大きく違う、ということです。これによって当店では、畳を使うお客様と生産にかかわる生産者の距離を縮める手段としての情報発信を重視する流れに行きつきました。
お客様が当店に足を運ばれる前に、この情報から畳の理想像が浮かんでいて、お客様側の「この生産者の作った畳表を使用したいなぁ」という願いが当店で実現できる。そんな、誰かに語りたくなる背景の見えるモノづくりを目指しています。

売って終わり、にしないためにも、各種SNSにおいても、畳の管理方法をはじめ、お客様のお役に立つ情報を発信してまいります。
これはモノと情報があふれる時代の中で、大事な事柄が雑多な情報に埋もれてしまわない為にも大事な責務です。
だから当店では、「作る人も、買う人も、関わる人もうれしい仕事」を理想とします。あくまでも丁寧に大事に作る、そしてこれまでのことも、これからのこともちゃんと伝える。
これが当店の在り方です。

History
これまでの物語

これまでの物語

初代、中島精治が熊本の芦北に生まれてから中学卒業後、「真面目なお前なら畳職人で食べていけるから」との父親の言いつけで畳職人を目指しました。熊本や北九州の畳屋で修行すること10余年「屋久島に畳職人が不足しているから来てほしい」と、付き合いのあった材料商からの紹介で屋久島の畳店に赴き、そこから独立、創業してからのお店になります。

1974年屋久島で中島タタミ店創業
島内の大工の棟梁達から「あの店の畳は隙間なくピシッと入る」という評判を頂きながら、徐々に屋久島、口永良部島全土に取引先を広げながら、夫婦二人で商いを続ける。

1988年新工場に移転
需要の拡大に合わせて店舗を建設、現在の中島タタミ店となる。また店舗東側にて生花販売を始める。

2012年二代目、息子である中島拓也が引き継ぐ
丁寧にスキマのない畳づくりを続けることを当店の伝統として、初代とともに畳の製造、販売を行う。

2014年TATAMI GALLERYをオープン
以前生花販売を行っていたスペースを改装、お客様のお部屋づくりのご相談スペースとして、小高真一氏に依頼し屋久島の木材を使ってTATAMI GALLERYを新設。長く使える国産畳、色彩豊富なヘリなし畳を実際に見て触って選ぶスペースとして、また、国産素材に加えて、地産地消にこだわった屋久島、種子島の素材を地産地消する取り組みから生まれた商品などを取りそろえて販売を始める。

スタッフ(家族)紹介

中島精治中島精治 中島タタミ店初代
当店の創業者。熊本の畳店で住み込みの丁稚からはじめて修業を積み、畳職人として熊本と北九州で働く。その後屋久島に移り住み、この道60年目(2020年現在)。はじめは、よそ者として扱われ、注文の少ない厳しい創業時代を過ごすも、その真面目さ、丁寧な仕事、持ち前の優しさが知られてくると地元の方々より支持を頂き、次第に島の全土から注文を頂くまでに畳店を育てる。
現在は主に工場内で畳の凸凹の修復をてきぱきと行う。趣味は畑づくり。大事に育てた野菜や果物を、孫や親しい人と楽しむことを喜びとしている。

中島サチヱ中島サチヱ 初代女将 小物づくり担当
精治とともに二人三脚で中島タタミ店の礎を築き、現役時代は畳の制作補助から配達、経理までこなしていた。現在のTATAMI GALLERYの場所で、2010年まで小さな花屋を切り盛りしながら畳店を支える。体が不自由になった今も、手先の器用さを生かして当店のクルミボタンに添える畳コースターの仕上げ作業を行っている。

中島拓也中島拓也 中島タタミ店二代目
屋久島の高校を卒業後、外国語学部で学び、京都畳技術専門学院で修行をしている際には、語学力を生かしてアメリカ東海岸に滞在して、現地の個人宅、美術館、店舗などの出張畳替えを手掛ける。
26歳より屋久島に戻り、い草農家の収穫手伝いやゴザが作られる現場で状態を確認するなど、実際に生産者の元へ赴き作り手との信頼関係を築くとともに、おすすめする材料を自分の目で確認するというこだわりを持つ。京都時代に出会った茶道をライフワークとして続けるために、店内に併設した茶室にて月に一度、手造り和菓子とともに希望者へお茶を点てている。

中島浩予中島浩予 小物づくり、事務担当
一度観光旅行に来た屋久島に一目ぼれして「屋久島で自然に囲まれた環境での保育をしたい」と、東京より移住。保育士と服飾販売の職業経験から、いぐさを使った小物づくりや、畳を使った子供向けイベントスペースの提案を行う。週末は家族とともに森、川、海のどこかで過ごす。フラのレッスンにも通い舞台に上がる。

中島そうすけ中島そうすけ 長男
店主の良き相談相手、店舗を改装する際の壁の色使いは宗助の一言、「この色いがい」で決定。

中島せいた中島せいた 次男
2020年生誕。存在そのものがみんなを笑顔にして、お店を応援してくれている力の源。